夕立ち。


 傘を広げた夫に不意に肩を抱かれて、時尾は思わず
「まあ」
 とつぶやいた。
「濡れるだろう」
 そっけないぐらいに聞こえる言葉に、思わず微笑する。
「あなたこそ、」
 濡れてしまいます、と言ってみるが案の定答えはなく、かわりにさらに強く抱き寄せられてしまった。顔に熱がのぼってくるのを感じて、時尾はうつむく。天下の往来ではないか。あなた、とたしなめようと見上げると、夫は多分家の外では誰にも見せないであろう笑みを浮かべた。突然の雨のためか、いつのまにか人通りは絶えてしまっている。黙って身を寄せながら、時尾は小さくため息をついた。…煙草の匂いがする。二人で歩くのはずいぶん久しぶりのような気がした。夫は仕事柄どうしても家を空けることが多い。


 そのままどれくらい歩いただろうか。降りはじめたときと同じように、急に雨の音が遠ざかっていく。ややあって、
「…止んだな」
 つぶやきと共に、夫の手は離れていった。通り過ぎてしまった夕立ちを、時尾は少しだけ恨めしく思った。夫は立ち止まって傘の水を払っている。目が合えば子供じみた思いを悟られてしまう気がして、なにげなくそらした視線を空へ投げた。すると。
「あなた、見て」
 何だ、と見上げた夫も、
「ほう…」
 と目を細めた。
 振り仰げば、虹が見えた。七色が見事な弧を描き、雨上がりの空につかの間の橋を渡している。
「綺麗…」
「明日は、晴れか」
「梅雨ももうすぐ明けますね」
 明ければすぐに、夏が来る。少し蒸し暑い空気の中でしばらく空を眺めていた夫は、やがてさも当たり前のように再び時尾の肩を抱いた。
「まあ」
 とつぶやいて見上げる。すると目が合って、答えが見えた。思わず微笑してしまう。
「どうした?」
 低いがよくとおる、そうして優しい声。
「いいえ…何でもありません」
 子供じみた思いは時尾ひとりが抱いたものではなかったのだ。ゆっくりと歩き出す夫に、再び強く身を寄せた。


 虹の橋はまだ消えずに残っている。通り過ぎてしまった夕立ちに、時尾は少しだけ感謝した。


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